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かなり久しぶりの更新となりました。
部署が変わり、仕事へのモチベーションが大きく低下したまま、どうにかこうにか過ごす毎日が続いています。
そんな中、1月2日に母が旅立ちました。
年末から傾眠傾向で、元旦にムース状のおせちを少し口にした他はほぼ眠っている状態でしたが、私たちはいつも通り母のケアをしたり話しかけたりして過ごしました。
翌日、姉から「下顎呼吸になっているから危ないかもしれない。訪問診療の先生に来てもらった」とLINEがあり、「先生が帰られた」とメッセージが来たすぐあとに、ふたたび姉から電話で「亡くなっているようなので、急がなくていいから来てほしい」と連絡がありました。
支度をして実家へ行くと、眠っているかのような穏やかな表情の母と、その母の手を握っている父の姿がありました。
姉によると、先生が帰られた後に部屋の片付けをしていて、ふと母を見ると、息をしていないことに気付いたそうです。(先生の見立ては「今夜から明日が山です」ということでした)
皆に囲まれてのお別れはできませんでしたが、年末年始ずっと長い時間過ごしたので、最後の瞬間に一緒にいられなかったことを悔やむ気持ちにはなりませんでした。
暫くしていつも来てくださっていた看護師さんが到着し、母の名前を何度も呼び、優しく話しかけながら手際よくエンゼルケアをしてくださると、母はより一層きれいで穏やかな表情になりました。
お気に入りの服に着替えさせてもらう際、横向きにすると身体の中の空気が口から漏れて「あ~…」と母の小さい声が聞こえました。
「お母さん、生きてるんやったら今のうちやで!目を覚まして!」と泣き笑いしながら母の肩と揺らす私。
年末に悪戦苦闘しながら切ったばかりの母の髪を、「ちょっと頂戴ね」と声をかけながら少し切り、姉と分けました。
母との別れは本当に悲しいものでしたが、それ以上に「最後まで在宅で看られてよかった」という気持ちになりました。
コロナ禍で多くの病院や介護施設の面会が限定される中、在宅を選択したおかげで(介護する側は常にマスク姿ではありましたが)母はマスクも手の動きを制限するミトンも付けず楽な状態でいられましたし、なんといっても面会時間を気にすることなく常に家族と過ごせ、寂しい思いをさせることもありませんでした。
それに、入院当初は「絶飲食」の状態で点滴で命を繋いでいたのが、在宅になって元気になり、好きなものを好きな時間に食べることができましたし、好きな音楽も聴かせることができました。
最後は延命処置など苦しい思いをさせることもありませんでした。
母の人生の最後を少しでも幸せにできるように…それが自分たちの役割だと思って頑張ってきた姉と私は、心の底から安堵しました。
姉も私も母のことが大好きだったので、亡くなったら悲しみのあまり、姉妹が倒れてしまうのではないかと心配をしていた、おとーちゃん。
姉も私もしっかりしており、葬儀の前後もその後の色々な手続きも、手分けして片付けている姿に驚いていました。
きっと母は私たちが壊れてしまわないように、4年かけて頑張ってくれていたのでは?と感じるのでした。
亡くなるまでの間、食事介助や口腔ケア、散髪、スキンケア、おむつ交換などをする度に姿勢が崩れる母を、数えきれないほど抱きしめ、手や脚をマッサージし、触れ合うことができました。
母は脳梗塞を三回発症し、レビー小体型認知症も患っていたにも関わらず、しっかり会話ができていたこと、最後まで家族の顔も名前も忘れなかったこと、介護施設のスタッフさんに常に感謝を伝えていたことを訪問診療の先生は本当に驚かれていました。
ヘトヘトのボロボロで過ごした4年の日々は(外からは大変な苦労をしているように見えたでしょうが)、私の宝物になりました。
母の遺骨は手元供養という形で、介護ベッドがあった位置に置かれています。
そういえば、ベッドを置くためにピアノを売った時、運ばれていくピアノを見ながら母は泣いていたなぁ…と思い出しました。
母は姉に「私が死んでも泣かんときや。死んでも親子やで」と言っていたそうです。
母の身体は無くなりましたが、生活の中で母を感じることがたくさんあります。
今はきっと、動けずに不自由だった身体から解放され、安らかで楽しく過ごしているに違いないと感じます。
母のことを思い出すと涙がこぼれそうになりますが、きっと近くに居て見守ってくれていると信じ、しっかり暮らしていかねばと思う毎日です。