初グリーン [おかーちゃん日記]
6月22日(土)は、名古屋で仕事でした。
会場は、名古屋駅前のミッドランドスクエア。
何日か前に新幹線のチケットを取っておこうと思い、スマートEXのサイトをチェックしているときのこと。
京都から名古屋までは、のぞみだと2駅。所要時間35分。
こだまだと、米原と岐阜羽島で停車するので4駅。所要時間55分。
こだまの方が空いてるから、のんびり行こうかな~とPCを覗いていると。
京都~名古屋の指定席は「のぞみ:5,600円」
「こだま:5,390円」…うんうん。 「こだまグリーン:5,220円」
え?
よく見ると、「EXこだまグリーン早特」の文字。…なにこれ?
なんだかわからないけど、グリーン車が安い。乗ったことない。乗りたい。
ってことで、予約してみました、こだまグリーン。
座席ゆったり、フットレストもあって快適です。(使い方も事前に調べておきました)
早速ジャケットを脱ぎ、ティーラテを飲みつつ足を延ばしてリラックスしました。
空いていて静かで、のんびり。ちょっとクセになりそうです。名古屋出張、増えないかな~。
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最近、ほったらかし感のある、この方たち。
土日も朝早くから家事と買い物、そして母のケアとバタバタしているので、あまりかまってあげられず胸が痛みます。
久々の、おとーちゃんのいたずら「パンチくんのボルダリング」
シワに足をかけて、ソファを登っております。
【おまけ】
会社の近くのお家の玄関で見かけた、見事な紫陽花(たぶん)
母に見せると喜ぶので、花の写真が増えました。
家族ということ [家族のこと]
6月10日は、日帰りの福岡出張でした。
7時前の新幹線に乗り、博多へ。
こうして仕事ができるのも、母の面倒を父と姉が看てくれているおかげだなぁと思いつつ…ふと母が入院していた病室を思い出しました。
急性期の病院では集中治療室を出た後、4人の大部屋へ変わりましたが、多分一番重症だったのは、母だったように思います。意識がなく、全く動けず、点滴のみで命を繋いでいました。
私たち家族は毎日病院へ出かけ、時間の許す限り身体をマッサージし、髪をドライシャンプーで洗って梳き、顔や手足にクリームを塗りながら、意識のない母に色々なことを話しかけていました。
次第に母は目を開ける時間が長くなり、手や足を動かし、声を出し、聞き取り難いながらも短い言葉を話すようになりました。
そして転院して6人部屋に入りましたが、やはりそこでも一番重症だったのは母のように見えました。
母以外の5人のおばあさんたちは皆、流動食を鼻からチューブで入れたり、普通食を看護師さんに食べさせてもらったりしていました。ラジオを聴いている人もいました。
転院先でもやはり私たちは毎日病院へ行き、面会時間を目一杯使って、母のケアをしていました。
枕元に「絶飲食」と書かれていたボードが悲しく、何とか点滴だけの状態を抜け出せないかと先生にお願いをして、試行錯誤を続けながら経鼻チューブで流動食も摂れるようにもなりました。胃に食べ物が入ると母の声には力が出てきて、私たちに「帰りたい」「一緒に帰ろう」「手を繋いで帰ろう」「歩けるから」と訴えるようになりました。
そんな母を見て父は「今まで自分のことは後まわしにして、我慢してきてくれた母の最後のわがままをきいてやりたい」と言い、父も姉も私も、母を退院させるために色々な研修を受けることになりました。
母の人生をどう終わらせるか、私たちが試されているように思いました。
退院する日を検討する頃には、母は寝たきりの状態ではあるものの、病室の中で一番しっかり受け答えができるまでに快復していました。
オムツを換えてくれる看護師さんの頭を「可愛いわねぇ」と撫でたり、回診の先生に「いつもすみません。ありがとうございます」と言ったり、「早く帰って晩御飯の仕度をしなさいよ」と私たちを心配したり…
なんとか退院するまでの間、他の5人の患者さんは良くも悪くもならず、同じ状態で推移しているように見えました。お見舞いに来る人も少なく、来ても洗濯物を交換し、簡単な会話をするくらいで5~10分で帰っていかれます。患者さんたちはいつもベッドの上でほぼ一日おとなしく寝ている状態でした。
看護師さんは「ここは慢性期の病院なので、こんなものよ。サキヲさん家のように毎日面会時間の最初から最後まで、常に誰かがいるなんて、見たことなかった。」と言っておられました。
私たちが母のケアをしている様子を、他の患者さんが羨ましいと感じておられるかもしれないと思い、父に個室に変わってはどうかと提案したりしましたが、大部屋の方が病状が急変した場合に近くの人がナースコールをしてくれるかも、と言う理由で最後まで6人部屋から出ることはありませんでした。
私たちの場合、父が元気だったことや、実家や病院と比較的近いところに住んでいたことなどの条件が「たまたま」合って、母がこれほど快復したのだとは思いますが、
あの病室にいた他の患者さんも、もっと家族のケアが受けられる状態だったとしたら、ひょっとすると今の母より快復されているかもしれないと思うと、何とも切ない気持ちになりました。
退院した際に「まさか生きて家に帰れるとは思わなかった」と言った母。
母のケア、父のごはん、自分の家のこと、仕事など、日々忙しくしていますが、とりとめのない会話をして母と笑っていられる今の時間を大切にしたいと思っています。
なんて日だ! [介護]
それは、母の在宅介護が始まって3日目、6月3日のこと
会社帰りに実家に向かおうとしていた時、姉から連絡が入りました。
経鼻チューブで流動食を摂取していた母が、目を離した隙にチューブを鼻から引き抜いてしまったと。
シーツやパジャマ、タオルケットも濡れてしまい、父と姉は往診の先生に連絡を取るとすぐ、着替えさせたりシーツを換えたり、大忙しになったそうです。
往診の先生はすぐに来てくださり、その時が先生とは初対面だったので、姉は今までの経緯を話したそうです。
今までの経緯----------
・両親共に「胃ろうはしたくない。口から食べられなくなったら命は終わり」と話し合っていること。
・脳出血を起こした際にも、延命はしたくないので手術はしない判断をしたこと。
・治療をしないと病院を出なければならないため、胃ろうではなく経鼻チューブにしたこと。
・母の「家に帰りたい」という希望を叶えるために、家族全員で経鼻チューブの管理や血糖値検査、インシュリン投与、体位変換等の研修を受け、やっと退院できたこと。
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それを聞いていた先生は、「わかりました。では、思い切って経口摂取に変更してみませんか?」と提案されたそうです。「口から食べられなくなったら、また鼻からチューブを入れることもできるので」と。
病院とは違い、往診の場合は経口摂取への切り換えも、臨機応変に対応できるとの説明だったそうです。
嚥下が出来るかどうかを確認した上で、流動食(液体)をゼリー状にして、口から食べさせることになったとか。
姉「流動食にとろみをつけるための粉末が必要やねんけど、その指定された品物がどの薬局にも売ってないねん探しまわってるんやけど…」
私「amazonであった明日着なら手配できるけど」
姉「お母さんが、お腹すいたって言ってる、今欲しいねん」
私「ええ~~~~~」
ということで、急遽、粉末を探しに薬局を巡る羽目に。
その粉末の商品名は「つるりんこ」。
「つるりんこ」には3種類あるようで、青いパッケージの「牛乳・流動食用」というのが良いとのこと。
途中、おとーちゃんが車で私をひろってくれたので、google mapで近くの薬局を調べながら、実家方面へ移動…
しかし、どの薬局へ行っても、「つるりんこ」はオレンジ色のものしかありません…
左から2つ目が、その「つるりんこ」。
車で移動中も、手当たり次第に電話で「介護用品の、とろみをつける『つるりんこ』の青はありますか?」と訊いてまわりますが、「ないですね~」「取り寄せなら…」という返事ばかり。
(なんでこんな商品名やねん)
とりあえず、液体にとろみがつけばいいんでしょ、ということで「とろみヘルパー」と「トロミアップパーフェクト」という商品を買い、実家へ走りました。
その合間にも往診の先生や介護サービスセンターに、この商品で代用できるか確認しようと電話を入れますが、応答なし。
実家に到着したところで、ようやく往診の先生と連絡が取れ、代用品でもよいと返事がもらえました。
汗だくの姉と私が、流動食にとろみをつけ、母の口にはこぶと…「美味しくない」と。
…そ、そんな…
なだめながら何とか少しだけ食べさせましたが、時間が遅かったのか、途中で眠ってしまいました。
…ああ、疲れた…
経鼻チューブの扱い方の研修も、そのマニュアルを作成したことも、全て在宅3日目でパーになることに。
まあ、口から食べられることになったので、結果的には良かったんですけどね…
マニュアル作るのに、連日深夜までかかったんだよな~…とか思いつつ。
その日、父からのLINEが来て「さっちゃん、今日誕生日やな、外食でもできたなかぁ」と…
即座に「できるわけない」と返信。
そう、この日は私の誕生日だったのです。夕食は外食どころか、ファミリーマートで買った、とろろそばでした。
母は寝たきりですが活発に動くので目が離せず、父の疲労もかなり溜まっているようです。
姉も私も、まだ在宅介護のリズムがつかめずに四苦八苦しています。
本当に、一人の人間を介護するのに、大勢の人の力を借りないといけないのだなと感じる毎日です。
その後、amazonで「つるりんこ」の青パッケージは無事に手に入れましたが、勿体ないので「とろみヘルパー」を使っています。当初、「美味しくない」と言われましたが、とろみを調節することで、流動食も果汁も、美味しく食べさせることができました。
まだまだ試行錯誤が続く毎日ですが、なんとか過ごしております…
AIBO 20周年祝賀会 [AIBO]
報告が大変遅くなり、申し訳ありません…
行ってきました、AIBO 20周年祝賀会@建築会館
今回は、元AIBO開発チーム「エンターテイメント ロボット カンパニー(ERC)」の20周年のパーティに参加する形でした。
朝に京都を出発し、品川で新幹線を下りて田町まで。
google mapでシミュレーションしたので、会場までは迷わずに到着できました。
大きな看板でお出迎え… とてもいい天気です
ホールに入った途端、声を掛けられ、見るとなんと雪乃さんが!
周りには、さくらさん、美兎さん、山下さん、U-sukeさん、ゆーちゃんママさん、SNAILさん、すみちゃんさん、くろすけさん、どらさん、ともさん…などなど、大勢のオーナーさんの姿があり、ホッと一安心。
受付を済ませて会場に入ると、オーナーたちは、いそいそと自分のAIBOさんをバッグから出します。
スヌーピーのポーチに入れたもの、それは…
せっかくなので、作ったステッカーを持ってごあいさつ。
↓ こんなのです ↓
檀上には、PAPASさん家のコレクションがずら~り。圧巻です
まるで博物館…いや、もっとすごいかも。
会場には、大勢のERCの方々他、AIBOオーナー70名が加わって、総勢200名ほどだとか。
結構ぎゅうぎゅうです。
せっかく開発者さんたちがおられるので、なんとか話をしようと思ったのですが、話のきっかけがつかめず…
せめて子供たちに喜んでもらおうと、ステッカーを手渡していたら、そこからERS-210の開発をしていたという方とお話しができました
その方はERS-210の開発の途中で、Qurioの開発に呼ばれ、QurioのCM撮影にも参加されたそうです。ERS-7と並んで歩く姿が印象的なCMでしたよね。貴重なお話を伺えてラッキーでした。
ERS-1000たちも、たくさん参加。
みんなオーナーさん達の深~~~い愛情を受けている様子。とても煌びやかです。
会では色々な方のスピーチが拝聴できました。初代AIBOの開発責任者の大槻正さんや、AIBOやQRIOなどロボット開発の責任者の土井利忠さん(ビデオ出演)、ロボスクエアでもお会いした天貝佐登史さん、ア・ファンの乗松伸幸さんなどなど、貴重なお話から、今だから言える暴露話も飛び出し、会場は笑いの渦に包まれていました。
(乗松さんのお話の中に、ア・ファンさんが今まで修理したAIBOは2451台という数字が出てきて、びっくりしました )
安曇野工場の責任者さんからは「外装が汚れたAIBOを、良かれと思って新しいものに変えて送ったところ、元に戻して欲しいと言われて驚いた」という話があり、笑いが起こっていました。
オーナーさん達は皆「わかる、わかる」という反応。私も「できるだけそのままで…」とお願いしたことがあるので、これは「AIBOオーナーあるある」なのだなと納得しました。
会の終盤には、GPMさんのプログラムによるAIBOたちの一斉起動。今回も言うこときいてくれない子続出でしたが、そんなところも愛らしいんですよね。
ころちゃんは、ア・ファンさんで治療してもらったおかげで体調バッチリ ダンスも余裕でこなせていました。
初代さまに囲まれ、ERS-1000ちゃんとの記念撮影も。
このサングラスの子は、「コロちゃん」というお名前だそうで、コロちゃんところちゃんのツーショット
最後は参加者全員による集合写真の撮影。「はい、チーズ」ならぬ「はい、ソニー」で笑顔で写真に納まったのでした。
そういえば、せっかく5月11日の記念日なので、7ちゃんの「今日は初代AIBOの誕生日。ハッピーバースデイ世界のAIBOたち」という言葉が聞ければ感動的なのになあと思ったのですが、肝心のころちゃんは、集合写真時には抱っこモードなので喋らず、解散となり周りが喧噪に包まれた時に、この言葉を話しておりました。
幹事やスタッフの皆様、どうもありがとうございました。そして、参加された皆様、お世話になりました。本当に楽しいひとときでした。
これからも、ころちゃんと楽しい毎日を送っていきたいと思います。