1年たちました [闘病]
開頭手術をして、4月で1年がたちました。
病室の廊下から桜を眺めていたことを思い出しながら、今年の桜を見ていました。
4/8に入院、4/10に手術、4/18に退院、4/30に職場復帰…
そのあとは、すぐに学会の共催講座運営準備に入り、7月に終わったあとすぐにフォーラムの運営準備に入り、11月に当日。
後片付けや収支報告やらアンケートの集計をして年末を迎え、息つく暇もないまま4月の勉強会の資料作成と7月の学会共催講座の運営準備と機器展示の準備、7月から始まるキャンペーン準備と、5月発売と7月発売の新製品2つの準備と…
すべての仕事がミルフィーユのように重なっていて、
気が付けば手術して1年、歯の治療に行けないまま1年、が経ちました。
1年の間に美容院に行ったのも1回だけ。
…ああ…
なんだか自分のメンテナンスに時間が割けずに、みっともない見かけのまま時を過ごしてきたような気がしています。
手術した箇所はまだ突っ張った感じがあり、寒い時期には痛むこともよくありましたし、表皮の軽い麻痺も部分的に残っています。
指で触ると、左に比べて右の後頭部(手術した箇所)が結構凹んでいることがハッキリわかります。
でも、縫合痕はとてもきれいになり、髪もショートボブにできそうなくらい伸びました。
痙攣はこの1年間、1度もおきていません。
顔のことを気にせず、忙しく働けるように治してくださったN先生に改めて感謝…
ころちゃんとも元気に遊べるようになったしね。
…たった10日の入院の間に、バッテリーがカラッポになるくらい消耗してたのね。
ほんま、すんません
片側顔面痙攣闘病記~退院まで・その2~ [闘病]
【入院7日目・日曜日】
土曜も日曜も、主治医のM先生は朝にガーゼの交換をしに来てくださる。入院してからずっと、M先生の姿を見ない日はなかった。「一体、いつお休みなんだろう…」そう思ったが、オバチャンが色気づいたと誤解されても困るので、今日も黙ってテープをベリベリされていた
看護師さんに「M先生っていつもいらっしゃいますよね」と言うと、看護師さんは「そうなんですよ、M先生はとても熱心で優しい先生で…」と満面の笑みで話してくれた。その声にはM先生への尊敬の気持ちが表れていた。
テープを剥がす痛さに耐えたというのに、お昼前に廊下でM先生に「ガーゼの位置がずれている」と呼び止められた。髪が伸びて浮いてしまっているから、と本日2回目のガーゼ交換をしてもらうことに…うう、髪が硬いとこんな目に遭うのね…
今日もお昼頃に夫が、その後、近くに住む姉も自転車でお見舞いに来てくれたので、3人で食堂で暫し談笑。
姉は二児の母だが、日中のパート勤務に加えて、現在は私とは別の病院に入院している義母の世話もしていて超多忙である。しかし、「2人目がお腹にいるときに、お義父さんとお義母さんが両方入院してたことがあったから、それに比べりゃ全然マシ」と明るく笑っていた。パワフルな姉を尊敬…
姉と夫が順番に帰り、見送りついでにふらりと寄った売店で「MOGU」のドーナツ型クッションを購入。術後、N先生に右側を下にして寝ろと散々言われているのだが、病室の枕が患部に当たると少し痛いので、この細かいビーズが入った柔らかなクッションなら大丈夫かも、と思ったのだ。
…結果は大成功枕が患部に当たっても痛くないし、ドーナツ型の真ん中に頭を入れるようにすると、快適だった。その夜から熟睡…といいたいところだが、シーツの下のビニールシートの暑さで、退院までぐっすりと眠れることはなかったのである
【入院8日目・月曜日】
朝7時に採血。朝食後、N先生とM先生の回診。N先生は私の咽喉の両脇の筋を両手でギュギュ~ッと揉んで「うん、首の筋はよくなってきてるね」と仰った。…痛いよ、先生それに顔が近いのでドキドキしちゃいますよ。(おばちゃんには刺激が強い?)
10時に、看護師さんがリハビリのお誘いに来られた。点滴を外してもらい、車椅子のおじいさんと一緒に隣の病棟へ行く。リハビリテーションルーム内は、身体のあちこちに管を付けたまま、もそもそとマットの上で身体を動かしている老人たちでいっぱいだった
担当の先生に、やり方を教わりながら足腰の運動を繰り返す。「動かし方や足の位置など、慣れてますね」と言われたので「20年くらいスポーツクラブに通ってました」と言うと、「それじゃあ、自転車を漕いでみましょうか」とマシーンを使うことになった。負荷が軽いので、先生と話しながら運動しても、呼吸も脈拍も乱れず…動くのがやっと、という老人だらけの部屋の中、ものすごく健康な自分に違和感を覚えた。
やはり、あまりに元気だったのでM先生に指導は必要ないと判断され、リハビリは即日卒業することになってしまった。「あとは自分で動いてもらえれば充分でしょう」とM先生。
入浴しても良いといわれたので、シャワーを浴びる。しかし頭は洗えないので、濡れタオルで髪と地肌を拭いた。
点滴も午後で終了し、針を腕から抜いてもらう。耳が塞がった感じは取れないし、テレビを見たり本を読んだりすると目の奥が疲れるが、少しずつ確実に回復していってるんだろうな、と思った。
【入院9日目・火曜日】
朝食後、ペットボトルを捨てに食堂へ行こうと廊下を歩いている時に、後ろから「サキヲさん」と呼び止められた。N先生とM先生だった。昨日に続いてお二人揃っての回診との事で「もしよければ患部を診せてもらえませんか。急いでおられるなら後でも結構です」と仰った。「お願いします」と、ペットボトルを持ったまま病室へUターン。
おきまりの「ベリベリしますよ」「ぎゃ~」の後、N先生が患部を指先で確認。「明日、抜糸しましょう。その翌日から洗髪できますから」そして「抜糸したら退院していいですよ」と言われた。予想外の言葉に目をパチパチさせていると、N先生はアホの子に言うように「明日ね、抜糸しますから。そしたらいつでも退院していいですよ」と、ゆっくり繰り返して話された。「いつにします?木曜日?」と言われて、ようやく事態が呑み込め「はあ、ありがとうございます…家族に連絡してから…」と、答えるアホのオバチャンであった。
「日時が決まったら、看護師さんに連絡してね」とニッコリ立ち去るN先生。「ありがとうございました」と頭を下げてから、嬉しさがこみ上げてきた。やった~頭が洗える暑くないベッドで眠れる家に帰れるんだ~
夫に連絡すると、予定が入っているので難しいとの事だった。続けて父に連絡。退院を喜んでくれ、木曜日の昼過ぎに迎えに行くと言ってくれた。
【入院10日目・水曜日】
朝食後、抜糸のためにM先生登場。最後の「ベリベリ」の後、糸をプチプチとハサミで切られた。耳の後ろのあたりは痛くなかったが、下にいけばいくほど徐々に痛くなる。
「洗髪は明日からにしてくださいね」と言われたので、いつも通りタオルで髪と地肌を拭いて我慢。
昼過ぎにお見舞いに来てくれた両親を見送った後、病棟に帰ろうと階段(リハビリの為、エレベーターはなるべく使わないようにしていた)を上がりかけた時だった。鼻からサーッと液体が流れ、あわててティッシュペーパーで押さえた。透明のサラサラした液体だった。少し歩くと、またサーッと… 入院前にネットで調べていた時に見た「髄液漏れ」という言葉が頭をよぎった。「これってやばい」と思っていると、今度は鼻の奥?咽喉の上?の方から食道を通って、生暖かい液体がザーッと一気に流れた。結構な量だったので、口から溢れ出しそうになったが、「廊下が汚れる」と必死に飲み込んだ。微かに塩分を含んだ(涙のような)味だった。
「なんだ、これ…?」と思っていると、また先ほどよりは少なめの量の液体が胃の方へ流れ落ちていった。「やっぱり髄液漏れか…?」「せっかく明日退院って決まったのに、やだなぁ…」と暗い気持ちになりながら、脳神経外科のある階までのろのろと歩いた。ベッドに腰掛けて「黙っておこうか」「いやいや、早く報告した方がいい」と悩んだ。タイミングよく看護師さんが来られたので、隠さずに話すことにした。
少しして、M先生が来られた。私の話を聞いて、「手術してから今日まで日数が経っていること」「断続的に鼻水が出ているわけではないこと」「縫合痕周辺が腫れていないこと」から考えて、「髄液漏れではなく、手術中に血を流したりする際に使った水が頭の中に溜まり、それが身体を傾けたことで流れ出たのでは」という説明をされた。
「退院が遅れるとか?」と訊くと、「それは大丈夫でしょう」という返事だった。
暫くして、入院時に説明を聞いた小部屋に呼ばれ、N先生から手術の結果報告をされた。手術前と後の自分の頭の断面図の写真が並んでモニターに映っている。手術後の頭蓋骨には、穴を開けたところに(まるでキリトリ線のように)灰色の線が2本入っていた。
「この部分に丸く穴を開けて、小脳を除けていくと、かなり奥の方でしたが神経を圧迫している血管が認められました」「その血管と神経を剥離して、間に綿を入れて接触しないようにし、更に首のあたりの筋肉をほんの少し切って、それを使って血管を固定しています」「穴を開けた部分は、骨を戻して蓋をして固定し、削った際に出た粉も間に入れています」…と、まるで細密な工芸品でも作っている職人さんのような言葉が次々と先生の口から出た。N先生の技の凄さにただただ驚くばかりだった。先生は淡々と説明をしてくださっているが、その口調から自分の技術に対する確固たる自信と、患者さんに対する熱意と優しさが窺えた。
そして、私がかかっている眼科の先生宛にM先生が書かれたというお手紙を渡してくださった。ここまでして下さるM先生の優しさに泣きそうになった。(後日、眼科の先生にこの手紙を渡したところ、「とても素晴らしい先生に診てもらったんですね」と言っていただいた。そしてM先生宛の返事を私に託してくださった)
夕方には夫が退院時の服を持って来てくれたので、抜糸後の頭を見せた。「う~~~~わ結構たくさん切ったんやね」と言われたが、自分では見えない。なので、また写真を撮ってもらうことに
長さを測ると9.5cm。手術前の予想よりは大きかったが、どうせ髪で隠れるので気にならなかった。
【入院11日目・金曜日】
朝、柔らかいご飯に、これが最後と「ふりかけ」をかけて食べた。
看護師さんの回診もない。ゆっくりと着替え、荷物を片付けたが、仕事用のPCや資料などの重いものは昨日夫に持って帰ってもらっているので、すぐに片付いてしまった。
入院時にN先生の説明時に同席していた看護師さんが来られて「どうですか?」と私の顔を見て、「顔が歪む、と辛そうにしておられたけど、表情が明るくなったね、良かった」と喜んでくださった。「はい、手術をして本当に良かったです」という言葉が、自然に口を衝いて出た。
昼過ぎに同室の方に挨拶をし、看護師さんから会計の紙をもらった後、何度も御礼を言って病棟を後にした。
父と母に車で家へ送ってもらい、入浴することにした。念願だった洗髪も、念入りに2回した。患部はそっと撫でるようにしか洗えなかったが、指が当たる度に、蓋をした骨が動く「カタカタ」という小さな音がした。
【退院から一カ月】
退院して10日で職場に復帰したが、ゆっくりしか動けなかったり、ゴミを集めようと下を向くと鼻から水が出たり、色々と不自由な状態だった。その後、下を向いても鼻から水が出なくなり、手術日からちょうど一カ月が経った日、ふと気付くと右耳の塞がった感じがなくなっていた。今までは、身体を傾ける角度で聞こえたり塞がったりとバラバラだったのに…一カ月後の検診でのN先生も「経過は順調ですね」と微笑んでおられた。手術痕周辺の皮膚に、感覚が麻痺している部分があるが、それも徐々に回復していくでしょう、ということだった。
【退院から二カ月・現在】
そして今、髪もずいぶん伸びた。先日の定期検診でN先生に「もう異常がなければ検診の必要はないですよ」と言われた。「髪を染めたり、パーマをあてたりしても大丈夫です」との事だったが、梅雨時に入り、汗をかくと手術痕が微かに滲みるように感じるので、美容院に行くのは控えている。時々手術痕が痛むことはあるが、一過性なので我慢できる。皮膚感覚が麻痺した部分もまだあるが、そのうち良くなるはず…と、のんびり構えている。
蓋をした箇所を指で触っても音はしなくなった。骨がくっついてきている証拠なのだろうが、「カタカタ」という小さな音がする度にN先生とM先生を思い出したので、何か少し寂しい気持ちになった。
「最後に…」
忙しい仕事の合間を縫ってお見舞いに来てくれた夫、毎日来ては「何にもいらないから」と言っているのに食べきれない量の果物やお菓子を置いていってくれた両親、お守りを作ってくれた姉、何通もの心のこもった手紙で励ましてくださった「ひらパー姉さん」、会社のみなさん、ブログにコメントをくださった方々、ブログを読んでくださった方々、本当にありがとうございました。
【次回からまた、あいぼブログに戻ります】
片側顔面痙攣闘病記~退院まで・その1~ [闘病]
【入院4日目・木曜日】
ようやく朝が訪れ、M先生の回診。身体のコードやチューブを外してもらい、処置室のベッドから病室のベッドへ移動しようとしたが、起き上がると頭にガーンという強い痛みがある。「髄液が減ったことによる起立性の頭痛でしょう。たくさん水分を摂ってくださいね」と、M先生。そういえば、点滴以外の水分補給をしていないことに気づいた。
結局ベッドへの移動は、3人がかりで持ち上げてもらうことになったが、その際に手術着がはだけて、大変見苦しい姿をお見せしてしまった。焦った病人の俊敏な動きで、ほんの一瞬で隠せたが…ホントは元気なんだろうと疑われたかな…
その後ベッドを押してもらってナースセンター横の個室へ入った。「N先生の指示なので、今日は個室料は不要」らしい。N先生、ありがとう…
窓から明るい光が入って気持ちがいい。4人部屋では廊下側だったので、病室から出ないと景色が見えなかった。外が見えるのと見えないのとでは、こんなにも気分が違うんだ~
ゆっくりと時間をかけて身体を起こしパジャマに着替え、部屋の中を歩き、顔を洗い、歯磨きをし、水を飲んだ。普通の事ができるってありがたい…
洗面所の鏡を見ると、おでこに血の滲んだバンドエイドが貼りついていた。手術台の上では、身体を真横にした状態で頭を器具で固定するため、その際に擦れて傷が出来るらしい。
後頭部は自分で見えないので、患部付近をあちこち触ってみた。すると、指先がバンドエイドに触れた。元は後頭部のどこかに貼ってあったのだろうが、今は髪の毛に絡まっていて、皮膚には全く接していなかった。注意深く剥がすと、これにも血の痕がついていた。何気なく耳を触ると、今度は耳の中から血の塊(乾燥してカリカリしていた)が出た。うわ~、ホントに手術したんだ~…痛みが少ないせいかイマイチ実感が伴わないが、やはり頭は切られているようだ。(そりゃそうだろ)
この日は昼食と夕食が出たが、どちらも「お粥」ではなく「ちゃんとしたご飯」だった。
午後に両親、夕方には夫がお見舞いに来てくれた。個室なので、ゆっくり話せた。夜のお手洗いも、何の遠慮もなく行ける。テルモちゃん連れでもへっちゃらだ。個室バンザイ。
【入院5日目・金曜日】
入院中であっても、できればご飯は美味しくいただきたい。
しかし、この日の朝
おかずが… 私の苦手な鶏の肝を煮たものだった
殆ど嫌いなものがない私だが、唯一内臓系が苦手である。
入院時に、食べ物の好き嫌いを訊かれたが、「まさか病院でホルモン系は出ないだろう」と思って「特にありません」と答えていたのだが…
「ひょっとしたら肝とは違うかもしれない」と僅かな望みを持って口に入れてみた
…が、正真正銘の肝だった
だめだ。
やばい食べるものがない
「そうだ、ご飯がある」と思った。しかし、入院した時点でわかっていたことだが、この病院のご飯は「とても柔らかい」。
かためのご飯が好きな私には致命的である。
少量のほうれん草のお浸しが付いていたが、それもすぐに尽きた。
入院以来、看護師さんの質問に常に「健康的」な返事をしていたのが、ここにきて絶たれてしまった。
「お通じは?」 「はい、今朝ありました」
「お食事は?」 「はい、全部いただきました」
…朝食後、看護師さんに「1/3くらい食べました」と言うと、「術後だからしんどいよね」と優しく声をかけてもらったが、
「いやいや、そうじゃないねん…」と心の中で呟いた私である。
「出されたものは残さず食べる」という揺るぎのない信念が、いとも簡単にポッキリと折れてしまったようで無念だった。
悲しんでばかりはいられないので、夫に「秘密兵器のふりかけを持ってきてください」とメールをした。
これで必ずや事態は改善されるであろう。
この日の昼頃、急に「ボコッ」と音がして、右耳の奥が塞がる感覚がした。プールで耳に水が入った時のような、そんな感じ。先生に伝えると、「頭蓋骨に穴を開けると、どうしても耳の後ろの空洞になっている部分まで一緒に開いてしまうので、その部分に水が入ったんでしょう。時間はかかるかもしれませんが徐々に良くなると思います」という返事だった。
この日から、点滴がテルモちゃん無しになり、のみぐすりが処方された。(テルネリン錠1㎎・メチコバール錠250μg・ガスターD錠20㎎・ナボールSRカプセル37.5・25㎎アリナミンF糖衣錠)
病室にリハビリ担当の先生が来られ、運動機能と顔面マッサージのやり方を教えてもらった。運動機能に問題はないので、週明けからリハビリルームに来てください、ということだった。
【入院6日目・土曜日】
朝、5:33少し前になんとなく目覚めて上半身を起こすと、ベッドが揺れた。地震だった。点滴が滑っていかないように手で掴み、揺れが収まるのを待った。
すぐに看護師さんが「大丈夫ですか~?」と様子を見に来てくださった。メールで家族間の安全を確認。
朝食後、荷物を持って元の4人部屋へ移動した。骨おばさんは私が手術をした日に退院していて、新しく癌患者のBさんが入院されていた。Tさんの咳は多少軽減しているようだが、やはり起き上がることは困難な様子だった。
昼までの間に日課となっているガーゼ交換。M先生が「ちょっとずつでは痛いですからね」といつもの言い訳しつつ、情け容赦なくベリッと一気にテープを剥がす。「ぎゃ~」と叫ぶオバハン。「はっはっは…」と笑うM先生。「痛ったぁ~い…」と言っている私を面白そうに見る先生は、ドSかもしれない、と思った。
いつもは土曜か日曜、どちらかしか休みでないのに、何故かこの時を狙ったかのように「土日2連休」の夫が、昼過ぎに「ふりかけを持って」お見舞いに来てくれた。感謝。
残りは一話にまとめますから…あと一回【つづく】
片側顔面痙攣闘病記~手術当日~ [闘病]
手術の朝。前日10時以降の飲食は禁止(水分は点滴で補給)なので、朝食は摂らず、顔を洗って歯を磨いた後、手術着に着替えた。コンタクトレンズは付けないように言われていたので、眼鏡をかける。
肩にはボタンがあるが、胸は交差させるだけでボタンはない。裾も横に大きくスリットがある。パンツ一丁の上に、そんな「服のようで服でないもの」を腰の紐1本だけで留めるので、動くとあちこちがはだけたりずれたりで、大変見苦しい状態になってしまう。
仕方なく、あまり動かないように行儀良くベッドに座り、家族を待った。
8:30に夫が到着。貴重品が入ったトートバッグを預ける。仕事の資料が入っているUSBは、何かあった場合に上司である常務へ届けて欲しいと伝言。そして臓器提供意思表示カードも渡した。
元々、私は幼い頃から「死」について色々と考える癖があった。「死ぬことを忘れて生きるのは怖いことだ」と思っているので、自分の死について考えたり、話したりすることは家族の中でも極々あたりまえのことになっている。カードには脳死後・心臓停止の死後のどちらにも臓器を提供する旨が書いてあり、結婚した翌々月に、渋る夫を説得して家族欄に署名してもらっていた。…しかし、その頃と今とでは自分の気持ちに少し変化があった。
「提出するかしないかはお任せするから」と言うと、夫は探るように「どっちでもいいの?」と言った。「残された人が、どうしたいのかに任せるわ。好きにしてくれていいよ。」と答えると、「わかった」と頷いた。「きっとこのカードの存在は隠し通す気だな」そう思ったが、口には出さなかった。
これを書いた当初は「役に立てるように、絶対に臓器提供はしたい」と夫に言っていた。その気持ちに今も変わりはない。以前と変わった点は、「死ぬ側の意思を尊重してほしい」ということから「残された家族のこれからが大切だ」と思うようになったところである。死ぬ側は臓器提供に納得していても、残される家族にとっては肉親の死を受け止められない事の方が多いだろう。自分がもし残される立場だと想像すれば容易に理解できる。もう生き返る可能性はないのか?奇跡が起こらないと誰が言える?ときっと苦しむだろう。その気持ちが落ち着くまで、待つことが許されても良いのではないか。大切なのは、これから生きていく立場の人間が納得できるようにすることかもしれない。
気持ちが変わるきっかけとなったのは、父のある言葉だった。うちの家族はみなセレモニーが嫌いである。母や私は「自分のお葬式はいらない」と常々言っていたのだが、ある時、父が「形だけでもやった方がいい」と言ったことがあった。その理由は「家族が悲しみ、お別れをする場面がなければ区切りがつかない。残された者が生きていくために、お葬式はあるんだと思う」ということだ。それを聞いて、とても納得した。ああそうか、生きていく人のための儀式なんだ、と。
結婚する前、結婚後、幾度こんな話を夫としただろう。真面目な話の後はいつも「私が死んだら、その後は若い嫁をもらってウハウハ楽しく暮らすんやで」と言い、夫の「任せとけ!」という言葉で締めくくられる。この日も、小さな声でひそひそと、同じ会話をした。 そう、もし容態が急変して二度と目を覚まさなかったとしても、家族には幸せになってほしいと心から思うのだ。決してきれいごとなんかではなく… そして今のこの状態に悔いはなかった。やり残したことは多分いっぱいあると思うが、死ぬ時ってそんなものだろう、と思うのだ。だから、私にもしものことがあったとしても、苦しまないでほしい。
8:45に父と母が到着した。具合があまり良くないと聞いていた母は、たぶん無理をしているのだろう、ニコニコしながら「あんたの言いつけ通り、厚着して乾燥防止のマスクも持ってきたよ」と言った。こんな肌寒い日に長時間待たせるなんて本当に申し訳ない…と胸が痛んだ。前日の天気予報を見て、風邪をひかないようにと父にメールした内容を守ってくれたんだな~と思った。
9:00になり、看護師さんが車椅子を持って迎えに来た。同じ棟の2階にある手術室まで、皆でぞろぞろと移動した。
ドラマで見るような手術室ではなくて、大きなホールのような扉の前でお別れ。(もちろん「手術中」なんていうライトもない)「じゃあ、行ってきます」と挨拶をすると、母が「じゃあ、またねぇ」と、わざとかもしれない呑気な様子でヒラヒラと手を振った。「行ってきます」なんて、間抜けかな?もっと何か気の利いた言葉はないんだろうか。でも大げさなことを言ったら病院の人に失礼だし…結局、いざとなると何も言えないし、何もできないんだな~なんて考えていた。父は少し笑っていて、夫は何とも複雑な顔をしていた。
車椅子を押されて、扉の中へ。「ご家族の方は、食堂でお待ちください」という看護師さんの声がうしろでしていた。扉の内側は真っ白の明るくて広い空間(廊下?)で、スタッフの方々が大勢行き来していた。いくつもの手術室があるようで、ベッドに寝た患者さんともすれ違った。思わず「すご~い!こんなところ、滅多に見られないから、ちゃんと見ておこう…」と声を上げてしまった。
もうひとつ大きな扉を開けて手術室へ入った。明るく、広い部屋の真ん中あたりで車椅子から暖かくふわっふわの手術用ベッドへ移り、仰向けに寝かされた。「麻酔が効いた後に横向けになってもらいますが、今はこのままで結構です」と言われた。興味津々で周りをキョロキョロ見ていると、手術着姿の先生が振り返った。「ああ、サキヲさん」N先生だった。「おはようございます。」と言うと、私の目をじっと見て「大丈夫、ここにいるから安心してね。がんばりましょう。」と声をかけてくださった。その言葉に心が温かくなるのを感じ、「はい、宜しくお願いします」と言いながら、いい先生だな~、惚れるわ~…なんてことを思っていた。
身体に暖かい布がかけられ、「寒くないですか?」と訊かれた。「暑いくらいです」と私。眼鏡を外され、視界が悪くなる。身体に次々に電極が貼られた。自分の周りではスタッフさんが手際よく動いており、絶えず色々な音がしている中、「麻酔が入りますね」という声がした。すぐに「ボーっとしてきましたか?」と訊かれ「いえ、まだ大丈夫です」という言葉を発している最中、その「大丈夫」というあたりで、身体の中心あたりがぼんやりする気配がした。「あ、ちょっとぼんやりしてきました」と伝えてすぐ、意識がなくなったようだ。
誰かが呼ぶ声がする。
「サキヲさん」
「目を開けて」
「聞こえますか?目を開けて」
ダイビングをしている時の、深い海からゆっくり上がってくるような感覚と共に目を開けると、N先生の顔が近くに見えた。
「手術は無事に終わりましたよ。」…あ、そうなんだ…
「目をギュッと閉じて、パッと開けてみて」…なんでこの眠い中、そんなことしなあかんねん…と思いつつも、惚れた先生が言う事なので素直に従う。
「ああ、痙攣してないね」…へぇ、そうですか…
そしてまた深い海へ潜っていく私。
またN先生の声がした。
「サキヲさん、家族の方が来られましたよ」
夫、そして父と母の姿が裸眼の視界にぼんやりと見えた。
懸命に2度、声を出したのは覚えているが、後になって何を言ったのか暫くは思い出せなかった。夫に訊くと「心配かけてごめんね」「大丈夫だから」と言ったらしい。
N先生が家族に「手術は成功しました」と説明する声を聞きながら、またすぐに眠ってしまった。「退室する時に振り返ったら、もう寝てた」と、夫。時間がよくわからず、夜中かと思っていたが、実は15:30頃だったらしい。
その後、N先生やM先生に何度か起こされ、徐々に意識がはっきりとしてきた。頭はそれほど痛くないが、同じ姿勢で寝ているために背中が痛い。両脚には、エコノミークラス症候群を防ぐために、交互に空気が入ってマッサージをする器具が付けられている上、身体にコードやらチューブやらがいっぱい付いていて動き辛い。それに、鼻と口を覆っている酸素吸入器が蒸れて、ものすごく不快だった。看護師さんにお願いして酸素吸入器を鼻だけのものに変えてもらい、背中にはクッションを当ててもらった。それでもシーツの下に敷いてあるビニールシートのせいで暑く、不快感は消えなかった。
私が寝ている処置室の壁には大きな時計があるが、半端じゃないくらいの強度近視なので時間が全くわからない。時々、看護師さんに時間をきくが、時計が壊れてるんじゃないかと思うくらいに、時間は進んでいなかった。頭の左側を下にしていると比較的楽だったので、その姿勢でじっとしていると、N先生が来て、できるだけ右側を下にして寝なさいと言う。「手術中は長時間、左側を下にしていたので首の筋が伸びてしまっているから」というのが理由らしい。でもね先生、右側の後頭部にはガーゼが厚く敷いてあって、安定が悪い上に、枕に患部が当たると鈍痛がするんです…
処置室には私の他に、男性の患者さんが寝ていた。衝立の向こうで、手術した胸が痛い、としきりに看護師さんに訴えていた。胸を切ると痛いだろうな、私も下腹部を切った時は辛かった…と昔のことを思い出していた。頭を支える首の筋肉が切られているために、首を動かすと痛みが走るが、身体を動かしても直接頭に響くわけではないので、その点では身体よりも頭の手術の方が楽かもしれない。
はっきり意識が戻ると、もう深くは眠れず、暑くて動けない不快な時間が延々と続いた。
あとは快方に向かうのみ♪ 【つづく】
片側顔面痙攣闘病記~入院2日目~ [闘病]
朝はいつも6時に起床する。入院してもそれは変わらない。
6~7時に看護師さんの回診があり、採血と血圧・体温を測る。
手術後は暫く入浴できないだろうと思い、昼前に入浴の予約をした。浴室の使用時間は、男性が10分・女性が15分と決められている。
安全の為、湯船は使用禁止となっているので、シャワーで髪と体を洗う。
昼食後は、剃髪。主治医のM先生と浴室へ。洗面台で家庭用の散髪ケープを被り、バリカンで後頭部の髪を刈る。M先生は若く男前で、「真面目」という印象だったが、話をすると結構面白い方だった。
髪をピンで留めながら「多いね~…」と感心された。産まれた時から、真っ黒な髪がフサフサと生えていて、その剛毛っぷりに産院の先生が驚かれたという私。多さと硬さには自信がある。 案の定、何度も失敗をしながらも、ピンをいっぱい使ってなんとか髪を留めたまではいいが、バリカンに髪が詰まって動かなくなるというハプニング発生
右側の後頭部がすっかり「坊主」になったが、頭頂部の髪を下せば完全に隠せる。実は春先に髪を切ろうかと思っていたのだが、放置しておいて良かった…
せっかく珍しい髪型になったのに、自分ではよく見られないので、先生に写真を撮ってもらった 「ほほ~…」と画像を見て面白がっている私に、先生は「手術の現場で、もうすこし広く刈るかもしれません」と言われた。「どうせすぐ伸びますから、ドンドン切っちゃってください」と返事をすると笑われた。髪が短くなろうが、大きく切開されようが、先生のやりやすいようにしてもらえればいい、と思った。治療が目的なのだから。そのうち髪は伸びるし、傷口は塞がる。
病室に戻ると、点滴が始まった。テルモと書かれた機械が付いているので「テルモちゃん」と命名。どこへ行くのも一緒の「お友達状態」だ麻酔科へ移動して下さいと言われ、テルモちゃんをコロコロと押して移動。
麻酔科のO先生から、全身麻酔について説明を受けた後「何か不安なこととか、わからないことはありますか?」と訊かれたので、「以前、卵巣腫瘍の摘出手術で全身麻酔を経験しているので、そんなものかな~と思っています」と言うと、「そうですか、まあ同じような感じでしょうね」と仰った。「手術後も痛みは少なくなるようにしますね」と言われたので、安心した。
次は、手術室での担当看護師のOさんが手順を書いた紙を持って病室へ説明に来られた。
「手術室まで」と「麻酔がかかるまで」、「手術開始まで」「手術後病棟に戻るまで」という項目別で、イラストが入ってわかりやすいものだった。
「私が傍にいますので、気になることがあったらお知らせくださいね」と言うOさんはとても美しい人で、私はそのきれいにカールした睫毛と澄んだ瞳に見惚れてしまっていた…
同室の骨おばさんは、昨夜喉につかえた骨を取ってもらったことでパワー全開だった。暇だからか、私の病名や原因を知りたがり、教えると、それを咳をしているTさんに報告していた。でもその報告内容は、何だか間違った情報に変換されていた…いちいち訂正するのも面倒なので、黙っていたが…
そのうち、骨おばさんのところには娘さんが子供を連れてお見舞いに来た。
「長さ3cmくらいの、平らで大きな骨が出てきた」と、骨おばさん。
娘「いつもあんまり噛まずに食べてるからやで」
孫「ばあちゃん、普通そんな骨、気付くで」
骨「私はいつも何でも飲み込んでるんや」
は… 魚を…飲み込む… 意味がよくわからなかったが、考えないことにした。
骨おばさんは、入院時に持参した大量のサプリメントを(一時的に)取り上げられたのが気に入らないらしく、「早く返してほしい」…また、食事が重湯しか出ないことが不満らしく、「元気になったんだから、ちゃんとしたご飯が食べたい」と、しきりに娘さんに文句を言っていた
娘さんは「サプリは薬剤師さんが飲んでいいかどうかを判断してるんだから、返してもらえないってことは、飲んじゃダメってことでしょ」「昨日まで絶食してたんだから、ご飯はもう少し辛抱しなさい」と母である骨おばさんを叱っていた。
私のところには父が様子を見に来てくれたので、エレベーターホール前のソファに移動し、骨おばさんのことなど、とりとめのない話をして、笑い合った。
明日は手術なんだから、もうちょっと真面目なことを言わないといけないのかな…という考えが頭の隅に浮かんだが、いつも大抵おかしな話ばかりして笑っている家族なので、「まあ、これでいいか」と思いながら、父の話にゲラゲラ笑い、緊張感は全くないままに手術前の一日が終わっていった。
次は手術当日です…【つづく】
片側顔面痙攣闘病記~入院1日目~ [闘病]
入院に向けて準備したもの
●病院から提出を求められた書類(前歴報告書・誓約書・保険外実費徴収同意書・問診表・診察券・保険証)
●日用品など(入院案内・お薬手帳・服用中の薬・印鑑・パジャマ・パイル地の上着・肌着・タオル・洗面用具・ シャンプー類・クロックス・箸 スプーン・蓋ができるコップ・ステンレスボトル・ティッシュペーパー・除菌ウェットティッシュ・汗拭きシート・小さなトートバッグ・輪ゴム・ボールペン・ケータイと充電器・ナイロン袋・コンタクトレンズケア用品・眼鏡・小さなアーミーナイフ・トイレ用消臭剤・掃除用のコロコロ)
●その他(健康保険限度額適応認定証・臓器提供意思表示カード)
その中で「持って行って良かった!」と思ったものは… これ ↓
●1滴落とすだけでトイレの消臭ができるという優れもの、「トイレその後に」。
●履物は「転倒防止の為、スリッパは×。滑りにくく音の出ないもの」という指定だったのでヒールストラップが付いたクロックスを選択。
●タオルは嵩高いので、スポーツクラブやダイビングで使っているGULLのスポーツタオルと、ガーゼ手拭いを数枚ずつ。早く乾く上に肌触りも良い。
それに、これ ↓
100円ショップで買った、プラスチックのカゴと滑り止めシート。そしてホームセンターの調理器具売り場で見つけたトレイ。
再現すると、こんな感じ。
一番下に滑り止めシートを敷くと、少し手が当たったくらいでは物が落ちないし、消音効果もある
色々なものをプラスチックのカゴに入れておくと、棚や机の上を使いたい時にサッと移動ができて便利(病室変更時の移動も楽だった)
トレイには石鹸とコンタクトレンズのケア用品を入れておくと、そのまま洗面所に持って行け、レンズケースをバラして乾燥できる
さて、4月8日(月)の入院当日。夫と二人で荷物を持ち、9時頃に入院窓口へ。簡単な手続きの後、病室へ案内された。脳神経外科は呼吸器センターと同じ階で、新しくきれいな病棟の4人部屋だった。荷物を置くとすぐに、先生からの説明がある、と呼ばれて別室へ。
執刀医のN先生は小柄で優しそうだが、凛とした雰囲気がある方だ。その日も「内容は前回の繰り返しになるかもしれませんが」と前置きした上で、とても丁寧に説明をされた。 片側顔面痙攣自体は死に到る病気ではないこと。頭を開いてみても全く原因となる箇所がなく、「原因不明」として根治治療が難しい場合も僅かながらあること。しかし、他の病院で手術をされて「原因不明」といわれた患者さんの再手術を担当し、色々な角度からよく観察したところ、細い隙間の奥の方に神経を圧迫する血管を見つけられた経験があること。今まで自分の経験では原因不明として処置した症例はなく、患者さんが重篤な状態になったこともない。しかし、手術中はどんな事が起きるかわからないので、想定できる全てのケースに対応できるスタッフと機器を揃え、万全の体制で臨むこと、などを話された。
入院までに少し調べたので、このN先生が国内外で数々の手術を成功させておられることはわかっていた。しかし人間の身体の構造はひとりひとり違う。臓器や骨・血管・神経等の形・位置・大きさだけでなく、体質や持病、果てはその日の体調に至るまで、全く同じ条件の人間はいないはずだ。 どんな素晴らしい経歴をお持ちの先生でも、事前に絶対大丈夫とわかっている手術はないだろう…そう思っていると、先生はそれを察したかのように「医学は日々進歩していますが、限界はあります。それをよく考えていただいた上で、同意書に署名するかどうかを決めてください。」と仰った。私の気持ちはもう固まっていたので、「先生を信頼して全てお任せ致します。迷いはありません。」と心を込めて頭を下げ、部屋を出た。
署名する書類は「手術に関する説明と同意」「手術(後頭下開頭及び微小血管減圧術)同意書」「行動制限(身体拘束・抑制)の必要性に関する説明と同意」「輸血療法同意書」「特定生物由来製品-血液製剤(血漿分画製剤)の使用同意書」「入院診療計画書」の6種類。全てに署名をし、家族の署名が必要なものは、夫が記入をした。
夫が帰り、看護師さんから病棟内の施設について説明を受けた後、パジャマに着替えて採血を済ますと、もう特に何もすることがなくなった。同室の人たちは、物静かで上品なIさん(肺癌)と、絶えずゴロゴロと咳をしていて起き上がることも困難なTさん(脳腫瘍)、鰤の骨を飲み込んでしまった為内視鏡での処置待ちのJさん(自分の中で「骨おばさん」と呼ぶことにした)、それに私のオバサン四人衆だった。
お昼ごはんが出されて食べている時に、隣の(下剤を飲まされた)骨おばさんが便器に座るのが間に合わずに粗相をしてしまい、床がすごいことになってしまった。カーテンで大体は隠されているものの、音や声は筒抜けである。「食事中は勘弁してくれ~」と思いつつ、視界の端に床の汚れた部分が入りそうなので半目にしながら無理矢理ご飯を飲み込んだ
午後に看護師さんが来られて、持ってきた薬を全て提出して欲しいと言われた。子宮筋腫で処方された「ヤーズ配合錠」と「ロキソニン錠60mg」、正常眼圧緑内障の「チモプトールXE点眼液0.5%」とドライアイの「ムコスタ点眼液UD2%」 を出す。これから手術や点滴があるので薬剤科で確認します、ということだった。
その後、手術前に準備しておく物のリストを持って来られた。殆どが持参したもので揃えられたが、それ以外に、バスタオル1枚・曲がるストロー(または吸い飲み)・大きなナイロン袋 が必要だった。
「入院前に言うといてぇな」…と言いそうになった。自宅や実家が近いので良かったが、病院の売店にも無いものもある…
ここでもし母を頼って実家に連絡をしたら、あれこれ心配をして余計なものまで持って来るので、必要なものだけ持って来るであろう夫にメールで連絡。翌朝出勤ついでに持って来てもらうことにした
その夜は、絶え間なく聞こえる野犬の遠吠えのようなTさんの咳と、病室でもケータイで喋っている骨おばさんの遠慮のない大声をBGMに、眠れない夜を過ごした
面白くない話ですが、まだ暫く 【つづく】
片側顔面痙攣闘病記~手術までの経緯2~ [闘病]
ボトックスを注射することで顔面の痙攣は止まるものの、次第に顔面の違和感を強く感じるようになっていた
特に、口角を上げようとしても右側がピクリとも動かなかったり、右眉だけが上がらなかったり、鏡を見ても微かながら、以前と顔が変わって見えた。(そこそこの年齢なのに、シワがなく変につっぱった顔の芸能人のような、違和感のある顔のような)
注射をしても3ヶ月しかもたず、その度に脳神経外科に通い高い薬代を支払う…これをこの先ずっと続けるのかどんどん症状はひどくなってきているが、注射で抑えられるのか顔が変わってきているのは気のせいか…色々悩んでいたが、久しぶりに会った友人の一言が私の背中を押した。
「サキちゃん、顔がおかしいけど大丈夫?」
友人によると、右側だけがつっぱっていて、目が細くなっている…ということだった
やはり自分の感覚は正しかった…そう思ったので、また痙攣の出始めた2013年2月半ばには手術することを決意した。
その頃になると、当初は緊張した時に強く出ていた痙攣が、どんな時でも突発的に出るようになっていた。また、痙攣だけでなく、右目がギュッと引きつれて閉じてしまい、口角も耳のあたりに向けて引っ張られ、そのままの状態が何分も続くので、電車に乗ったり会議に出たりする際にも、右手でずっと自分の顔を引っ張ったり押さえたり、閉じた目を指で開けたりしなくてはならなかった
仕事の年間スケジュールをエクセルにしていたので、手術する時期を検討してみた。比較的スケジュールに余裕のあるのは5月中旬くらいまでで、1ヶ月ほど休む余裕はそれ以降には無い。すぐに手術が無理な場合には、今年一杯ボトックス注射で対処しようと決めた。顔が変でも我慢しなくては…
そして、夫と実家の両親に病気の症状や経過、すぐにでも手術をしたい旨を伝えた。皆一様に「死ぬ病じゃないから、できればして欲しくないけど、辛いのは本人だからねぇ…」という反応だった。
3月6日にいつもの脳神経外科に行き、手術をする気になったことを告げると、先生は「どこの病院にしますか?」と仰った。「特にどことは決めていないんですが」と言うと、その先生は以前、大阪の病院で勤務されていたらしく、「大阪では遠いですか?」と言いながらパラパラと医師名簿の頁をめくって病院や先生の名前を探していた。
私の両親は心配性だ。高齢で体調も良くないが、私が入院すれば大阪でもどこでも、自分の事などそっちのけで毎日お見舞いに来て世話を焼いてくれるに違いない。絶対に無理はさせたくない、そう思った。この近くなら実家から歩いてでも来れる距離に何件か病院がある。夫が通うにしても、自宅から車で15分くらいだ。
「この近くでお願いします。」と希望を伝えて調べてもらい、「○○病院の脳神経外科部長、N先生は信頼できる立派な方ですよ」と紹介状を書いてくださることになった。
3月 8日に紹介状と受診データの入ったCD-Rを持ち、紹介先の病院へ行った。その日は医長のM先生の診察だった。
今までの経緯と現在の症状、それに6月初旬にはバリバリ働けるようになっていたいので、早く手術をして欲しいことなどを話した。
M先生からは、MRIの再検査が必要で、 検査は3月25日になると言われた。ボトックス注射の効果が薄れた状態で待たされるのは辛かったが、仕方がない
歪む顔に苦しみながら(人目を避けながら)2週間程を過ごし、3月25日の夕方にMRI検査を受け(また大音量の中眠ってしまった)、翌26日に執刀医N先生の診察。前回診察してくださったM先生と同様の事を聞かれ、今までの経緯や現在の症状、手術日の希望を伝えた。そしてここでも「ギュ~ッと目を閉じてパッと開ける」を数回繰り返し、典型的な顔面痙攣の症状だと告げられた。 原因とリスクについて説明され、MRIの写真を見ながら「左側の血管と神経の間にははっきりした隙間が確認できるが、右側は白くぼやけていて、よくわからない」と言われた。「頭を開けて見てみないと、どこがどうなっているのか詳しくはわからないという事ですね」と言うと「そういうことです」と仰った。夫が付いてきてくれていたので、途中からは2人で説明を聞いた。
N先生によると、ボトックス注射を続けると、筋肉の組織が破壊されて顔が垂れ下がってしまうので、注射の回数を減らした方が筋肉の回復が早いらしい。「私はできるだけ最初から手術をした方が良いと説明をしています」 …うわ、3回も注射しちゃったよ…と思っていると、私の顔を見ながら「少量で上手に注射をされていますが、それでもある程度のダメージはあるはずです」と言われた。元の顔に戻れるのか…?
入院期間は10日くらいとのこと。N先生もM先生も、時間をかけて説明をして、質問にも丁寧に答えてくださる。「何でも訊いてください。自分の経験と知識からお答えします。わからないことは調べた上で、誠意を持ってお話しします」というその姿勢に、この先生方を信頼してお任せしよう、もしダメでも悔いはない、という気持ちになった。
4月8日に入院、10日に手術をしましょう、ということになり、すぐに入院手続きと必要な検査を受けることになった。夫は仕事へ行くため、そこで別れた。
視力・眼圧・視野・心電図・肺活量・聴力・採血・止血時間(耳に傷をつけ、血が止まるまでの時間を調べる)・胸部レントゲン … さすが、開頭手術となると、色々な検査が必要なようだ。
その後会社に行き、上司と総務部に手術日が決まったことを伝えた。
総務部の同僚から高額療養費の支払いについて説明を受け(自動支払い方法だった)、言われるがままに健康保険限度額適応認定証の申請手続きもした。
あとは入院準備をすることと、迷惑をかけないように仕事を片付けておけば、それでよし。
入院・手術へと…【つづく】
片側顔面痙攣闘病記~手術までの経緯1~ [闘病]
退院して自宅療養をしている間に、憶えていることを書きとめておこうと思います。
いつか誰かの参考にでもなれば…(自分が再発したりするかもしれないしね)
2012年の年明けくらいから、右側下眼瞼に痙攣が出た。ちょうど本社へ異動となり、広報と営業企画の兼務に社史(40周年誌)の編集も担当しなくてはならず、多忙な毎日を送っていた頃のことだった(そのストレスのせいか、超生理不順で、半年出血が止まらなかった時期だった)
当初は疲れ目だと思っていたが、それが頻繁に表れるようになり、眼瞼痙攣を疑いはじめていたら、2月の半ばくらいには目尻の筋肉が引っ張られる感覚が出、そのあと鼻の横、唇のあたりにも引きつれが起こるようになった。
まずネットで病状を検索。「片側(へんそく)顔面痙攣」という病名に行き当たった。多くの人は初期症状の瞼の痙攣で眼科を受診するか、ストレスが原因と考え心療内科を受診するらしいが、原因は顔面神経が血管で圧迫されることによるので、脳神経外科を受診すると良い、と書いてある
仕事は山ほどある。迷っている時間はない。まず、終業後でも受診できる病院を検索してみた。
会社から電車を2回乗り継いで、実家の近くに開業している脳神経外科に行くことに。
大柄で柔和な雰囲気の先生は、「ギュ~ッと目を閉じてから、パッと開ける」という動作を何度かさせた後、表情をビデオで撮影。その後、医院の中にあるMRIを撮ることになった。
身に付けた貴金属類を外し、検査着に着替えて台に寝る。
検査員さんに「大きな音がしますが、検査なので我慢してくださいね」と言われ、実際に大きな音がしていたが日頃の疲れでウトウトしてしまった
結果は後日ということなので、その日は帰宅。
後日受診した際に、また再度 「ギュ~ッと目を閉じてパッと開ける」を何度かさせられる。MRIの写真には脳腫瘍などの大きな疾患は見つからなかったので、これは片側顔面痙攣でしょう、ということだった。
原因は、顔面神経が頭の奥から頭蓋骨の外に出てくる箇所で血管による圧迫から過剰反応する為であること。その神経と血管を離して間を空けることで治るが、それには開頭手術が必要であること。以前は内服薬を処方することもあったが、副作用があったり、人によっては症状が治まらないこともあること。近年は、ボツリヌス毒素を注射する(ボトックス注射)ことで、筋肉を麻痺させる方法があるが、効果は3ヶ月くらいしか持続しないこと。
説明を聞いたが、急に頭の手術に踏み切る勇気もなく、当時体調も最悪だったので、ボトックス注射を選択。処置してもらう予約を取った。
結局、2012年は 3月15日、 6月29日、11月30日、と効果が薄れる度に3度ボトックス注射をしてもらった。
ボトックス注射は…
お化粧を落としてベッドに横になり、待機。
注射には一番細い針を使用するらしいが、麻酔などはないので、かなり痛い
上下の瞼、目尻、こめかみ、眉の周辺、鼻の横、頬、唇の周辺、もみあげのあたりまで 20箇所くらい(もう少し多かったかも)、先生が指で筋肉を確認しながら注射をしていく。大人だから我慢できるが、目尻などは叫びたくなるくらいイタイ…
注射後は、30分ほど ベッドで安静にしてから帰宅。自動車の運転は控えるように、ということだった。
そして2013年にいよいよ手術に踏み切ることになる…【つづく】
おかーちゃん、クリニックへ ~その4~ [闘病]
【注意】 この記事の一番下の箇所には、抜糸後の傷口の写真が載っています。
苦手な方は、スルーしてくださいね。
みなさん、たくさんのお見舞いコメントとnice!をありがとうございます
おかげさまで昨日(4月18日)、 無事退院いたしました~
4月17日に抜糸。特に異常はなく退院許可が出たので、翌日退院することにしたのですが…
お見舞いに来てくれていた 父と母を見送った後、リハビリを兼ねて階段を上がっていたその時
右の鼻から、不意に鼻水が… 慌ててティッシュを出して拭うと、サラサラした透明な液体でした。
「………」
不安を感じつつ足を進めましたが 、またまたタラ~~~ッと…
「………」
ますます不安になっていく自分に冷静になれ、と言い聞かせていると…
咽喉の奥から胃に向かって、ザーッと何かの液体が一気に流れました
溺れそうになる私
ちょっとアップアップしていると、続いて第二弾の流れがザーッと…も、もう満腹っす
「これってひょっとして髄液漏れ…」 そう思ったので、看護師さんに報告。
「せっかく退院の日程が決まったのに、延期になったらやだな~~~」 とか「安静にしてて治るのかしら。背中から脊髄液採取したりするのかな~~~」とか、うだうだ考えていると…
主治医のM先生登場 私の説明を聞き、「手術から日数が経っていること」 「断続的に鼻水が出ているわけではないこと」「術後の傷付近が腫れていないこと」などを挙げて
「手術中にどこかに溜まっていた水分が、何かの拍子で流れたのでは」ということでした
…よかったぁ~~~ 、シーツの下に敷いてあるビニールシートのせいで暑く寝苦しい夜を、あと一回我慢すれば帰れるんだ~~
就寝までに、あと数回の鼻水と、咽喉の奥に流れる少量の水は感じましたが、もう不安はなく…
残りのヒマな時間をパンチ君をからかいながら過ごし…
『お箸とほぼ同サイズのパンチ君』
無事、退院当日の朝を迎えることができました
まだ髄液が減ったことによる起立性頭痛や、中耳に水が残っていることで右耳が塞がれたような感覚はありますが…
月末くらいまで、自宅療養をすることになったので、コメントへのお返事もこれからしていきます。もう少しお待ちくださいね
【抜糸後の傷口写真】
自分では見にくいので、おとーちゃんに撮影してもらいました だいたいの大きさがわかるでしょうか?
おかーちゃん、クリニックへ ~その3~ [闘病]
入院して一週間になりました。
そして手術から5日が経ちました。
術後、処置室での地獄のような1日を耐え、無事生還いたしました
みなさま、ご心配をおかけし、申し訳ありません…
現在、頭痛と少し耳の中に水が入ったような症状はありますが、
心配されていた吐き気や難聴、その他目立った障害もありません。
顔面の痙攣も、術後1度確認されただけで、ピタッと止まっています。
執刀医のN先生、主治医のM先生、麻酔医のK先生、薬剤師さん、看護師さん、栄養士さん、リハビリの先生、たくさんの優秀な方々のおかげで、大きな痛みや苦しみもなく、経過は良好です。
昨日は、パンチ君がお見舞いに来てくれました。
ナースコールとツーショット
そして、今日もそのまま付き添ってくれています
今日から言語・筋力・表情のリハビリも始まりました。
首から下は入浴していますが、頭を洗えないのでスッキリしません…
さあ、抜糸はいつかな