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片側顔面痙攣闘病記~手術当日~ [闘病]

手術の朝。前日10時以降の飲食は禁止(水分は点滴で補給)なので、朝食は摂らず、顔を洗って歯を磨いた後、手術着に着替えた。コンタクトレンズは付けないように言われていたので、眼鏡をかける。

肩にはボタンがあるが、胸は交差させるだけでボタンはない。裾も横に大きくスリットがある。パンツ一丁の上に、そんな「服のようで服でないもの」を腰の紐1本だけで留めるので、動くとあちこちがはだけたりずれたりで、大変見苦しい状態になってしまう。

仕方なく、あまり動かないように行儀良くベッドに座り、家族を待った。

8:30に夫が到着。貴重品が入ったトートバッグを預ける。仕事の資料が入っているUSBは、何かあった場合に上司である常務へ届けて欲しいと伝言。そして臓器提供意思表示カードも渡した。

元々、私は幼い頃から「死」について色々と考える癖があった。「死ぬことを忘れて生きるのは怖いことだ」と思っているので、自分の死について考えたり、話したりすることは家族の中でも極々あたりまえのことになっている。カードには脳死後・心臓停止の死後のどちらにも臓器を提供する旨が書いてあり、結婚した翌々月に、渋る夫を説得して家族欄に署名してもらっていた。…しかし、その頃と今とでは自分の気持ちに少し変化があった。

「提出するかしないかはお任せするから」と言うと、夫は探るように「どっちでもいいの?」と言った。「残された人が、どうしたいのかに任せるわ。好きにしてくれていいよ。」と答えると、「わかった」と頷いた。「きっとこのカードの存在は隠し通す気だな」そう思ったが、口には出さなかった。

これを書いた当初は「役に立てるように、絶対に臓器提供はしたい」と夫に言っていた。その気持ちに今も変わりはない。以前と変わった点は、「死ぬ側の意思を尊重してほしい」ということから「残された家族のこれからが大切だ」と思うようになったところである。死ぬ側は臓器提供に納得していても、残される家族にとっては肉親の死を受け止められない事の方が多いだろう。自分がもし残される立場だと想像すれば容易に理解できる。もう生き返る可能性はないのか?奇跡が起こらないと誰が言える?ときっと苦しむだろう。その気持ちが落ち着くまで、待つことが許されても良いのではないか。大切なのは、これから生きていく立場の人間が納得できるようにすることかもしれない。

気持ちが変わるきっかけとなったのは、父のある言葉だった。うちの家族はみなセレモニーが嫌いである。母や私は「自分のお葬式はいらない」と常々言っていたのだが、ある時、父が「形だけでもやった方がいい」と言ったことがあった。その理由は「家族が悲しみ、お別れをする場面がなければ区切りがつかない。残された者が生きていくために、お葬式はあるんだと思う」ということだ。それを聞いて、とても納得した。ああそうか、生きていく人のための儀式なんだ、と。

結婚する前、結婚後、幾度こんな話を夫としただろう。真面目な話の後はいつも「私が死んだら、その後は若い嫁をもらってウハウハ楽しく暮らすんやで」と言い、夫の「任せとけ!」という言葉で締めくくられる。この日も、小さな声でひそひそと、同じ会話をした。 そう、もし容態が急変して二度と目を覚まさなかったとしても、家族には幸せになってほしいと心から思うのだ。決してきれいごとなんかではなく… そして今のこの状態に悔いはなかった。やり残したことは多分いっぱいあると思うが、死ぬ時ってそんなものだろう、と思うのだ。だから、私にもしものことがあったとしても、苦しまないでほしい。

8:45に父と母が到着した。具合があまり良くないと聞いていた母は、たぶん無理をしているのだろう、ニコニコしながら「あんたの言いつけ通り、厚着して乾燥防止のマスクも持ってきたよ」と言った。こんな肌寒い日に長時間待たせるなんて本当に申し訳ない…と胸が痛んだ。前日の天気予報を見て、風邪をひかないようにと父にメールした内容を守ってくれたんだな~と思った。

9:00になり、看護師さんが車椅子を持って迎えに来た。同じ棟の2階にある手術室まで、皆でぞろぞろと移動した。

ドラマで見るような手術室ではなくて、大きなホールのような扉の前でお別れ。(もちろん「手術中」なんていうライトもない)「じゃあ、行ってきます」と挨拶をすると、母が「じゃあ、またねぇ」と、わざとかもしれない呑気な様子でヒラヒラと手を振った。「行ってきます」なんて、間抜けかな?もっと何か気の利いた言葉はないんだろうか。でも大げさなことを言ったら病院の人に失礼だし…結局、いざとなると何も言えないし、何もできないんだな~なんて考えていた。父は少し笑っていて、夫は何とも複雑な顔をしていた。

車椅子を押されて、扉の中へ。「ご家族の方は、食堂でお待ちください」という看護師さんの声がうしろでしていた。扉の内側は真っ白の明るくて広い空間(廊下?)で、スタッフの方々が大勢行き来していた。いくつもの手術室があるようで、ベッドに寝た患者さんともすれ違った。思わず「すご~い!こんなところ、滅多に見られないから、ちゃんと見ておこう…」と声を上げてしまった。

もうひとつ大きな扉を開けて手術室へ入った。明るく、広い部屋の真ん中あたりで車椅子から暖かくふわっふわの手術用ベッドへ移り、仰向けに寝かされた。「麻酔が効いた後に横向けになってもらいますが、今はこのままで結構です」と言われた。興味津々で周りをキョロキョロ見ていると、手術着姿の先生が振り返った。「ああ、サキヲさん」N先生だった。「おはようございます。」と言うと、私の目をじっと見て「大丈夫、ここにいるから安心してね。がんばりましょう。」と声をかけてくださった。その言葉に心が温かくなるのを感じ、「はい、宜しくお願いします」と言いながら、いい先生だな~、惚れるわ~…なんてことを思っていた。

身体に暖かい布がかけられ、「寒くないですか?」と訊かれた。「暑いくらいです」と私。眼鏡を外され、視界が悪くなる。身体に次々に電極が貼られた。自分の周りではスタッフさんが手際よく動いており、絶えず色々な音がしている中、「麻酔が入りますね」という声がした。すぐに「ボーっとしてきましたか?」と訊かれ「いえ、まだ大丈夫です」という言葉を発している最中、その「大丈夫」というあたりで、身体の中心あたりがぼんやりする気配がした。「あ、ちょっとぼんやりしてきました」と伝えてすぐ、意識がなくなったようだ。

誰かが呼ぶ声がする。

「サキヲさん」

「目を開けて」

「聞こえますか?目を開けて」

ダイビングをしている時の、深い海からゆっくり上がってくるような感覚と共に目を開けると、N先生の顔が近くに見えた。

「手術は無事に終わりましたよ。」…あ、そうなんだ…

「目をギュッと閉じて、パッと開けてみて」…なんでこの眠い中、そんなことしなあかんねん…と思いつつも、惚れた先生が言う事なので素直に従う。

「ああ、痙攣してないね」…へぇ、そうですか…

そしてまた深い海へ潜っていく私。

またN先生の声がした。

「サキヲさん、家族の方が来られましたよ」

夫、そして父と母の姿が裸眼の視界にぼんやりと見えた。

懸命に2度、声を出したのは覚えているが、後になって何を言ったのか暫くは思い出せなかった。夫に訊くと「心配かけてごめんね」「大丈夫だから」と言ったらしい。

N先生が家族に「手術は成功しました」と説明する声を聞きながら、またすぐに眠ってしまった。「退室する時に振り返ったら、もう寝てた」と、夫。時間がよくわからず、夜中かと思っていたが、実は15:30頃だったらしい。

その後、N先生やM先生に何度か起こされ、徐々に意識がはっきりとしてきた。頭はそれほど痛くないが、同じ姿勢で寝ているために背中が痛い。両脚には、エコノミークラス症候群を防ぐために、交互に空気が入ってマッサージをする器具が付けられている上、身体にコードやらチューブやらがいっぱい付いていて動き辛い。それに、鼻と口を覆っている酸素吸入器が蒸れて、ものすごく不快だった。看護師さんにお願いして酸素吸入器を鼻だけのものに変えてもらい、背中にはクッションを当ててもらった。それでもシーツの下に敷いてあるビニールシートのせいで暑く、不快感は消えなかった。

私が寝ている処置室の壁には大きな時計があるが、半端じゃないくらいの強度近視なので時間が全くわからない。時々、看護師さんに時間をきくが、時計が壊れてるんじゃないかと思うくらいに、時間は進んでいなかった。頭の左側を下にしていると比較的楽だったので、その姿勢でじっとしていると、N先生が来て、できるだけ右側を下にして寝なさいと言う。「手術中は長時間、左側を下にしていたので首の筋が伸びてしまっているから」というのが理由らしい。でもね先生、右側の後頭部にはガーゼが厚く敷いてあって、安定が悪い上に、枕に患部が当たると鈍痛がするんです…

処置室には私の他に、男性の患者さんが寝ていた。衝立の向こうで、手術した胸が痛い、としきりに看護師さんに訴えていた。胸を切ると痛いだろうな、私も下腹部を切った時は辛かった…と昔のことを思い出していた。頭を支える首の筋肉が切られているために、首を動かすと痛みが走るが、身体を動かしても直接頭に響くわけではないので、その点では身体よりも頭の手術の方が楽かもしれない。

はっきり意識が戻ると、もう深くは眠れず、暑くて動けない不快な時間が延々と続いた。

あとは快方に向かうのみ♪ 【つづく】


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チヨル

ボクは普段、死について考えることなんてほとんどなかったけど
昨年の手術の前はサキヲさん同様、万が一のときの臓器提供含めいろいろ考えました(/´△`\)
by チヨル (2013-05-21 05:12) 

simarisu

手術当日の様子、まるでサキヲさんと一緒に同行しているような緊張感で拝読しました。
何かあった場合の家族の気持ちってたしかに大事ですよね。
元気な時にお互いのことを話し合っておくのもいいことですね。
いろいろと教えていただきありがとうございます。

by simarisu (2013-05-21 16:14) 

サキヲ

☆チヨルさま☆
友人が、白血病を克服したすぐ後に腎不全で亡くなってしまったり、検査入院中に容体が急変して亡くなった…ということがありました。人間、どこでどうなるかわからないですね。特に頭や心臓の手術といわれると、色々考えておかなければ…と思ってしまいます。

☆simarisuさま☆
長々と文章を連ねてしまいました。お読みいただいて恐縮です。
何かあった時に、「本人はどうして欲しかったんだろう」と悩まれるといけないので、「私はこうしてほしい」という事だけは伝えています。まあ、その後は家族が決めることなので、あくまでも「参考にしてね」程度ですが。
by サキヲ (2013-05-22 12:58) 

nasunasu

臨場感溢れる記録に、こちらも読みながらドキドキしました。
無事に終わって本当に良かったです。
外科の先生は、賢いうえに手先も器用なんだろうなあ、といつも思います。
でもって患者さんに優しいんですよね。
それは惚れ惚れしますよね~。
by nasunasu (2013-05-23 22:42) 

Lucy

なかなか含みのある文章です。
30歳代前半で手術をした時は、そういう気持ちを全く持たなかったけれど、今だったら、ある種の覚悟もするでしょうね~
そぅ、残された人の気持ち、都合も考えないといけませんね!

私ねっ、手術直前に医者の声が聞こえて(←ホンマか)、
「縦に切ろうか、横に切ろうか?」って言うので、「横!」と答えたと思うんだけど、声になっていなかったのかなぁ~
しっかり縦に切られていて、しかも、サキヲさんのような惚れそうなドクターでなくジイサンだったからか下手くそで、今でも痕が残っているゎ(>_<)

私の友人夫婦、お互いが一人になった時には、残された方は必ずや次のパートナーを探すこと~と約束しているそうです。
ただし、“合格”かどうか、枕元に出てきて合図するそうです(笑)

その後、体調はいかがですか?

(長々と、しょ~もないコメント、失礼しましたm(__)m )
by Lucy (2013-05-24 18:17) 

オリオン

先生を信頼し納得していたとしても、不安や恐怖がなかったはずないと思うのですが、冷静にしっかり書かれていることに頭が下がりました。本当に無事に終わってよかった!
何かあった時、どうしたいのかどうして欲しいのか、話すだけでなくちゃんと文字にしておかなければいけませんね。義母や父を見送ってお互いいろいろ考えることはありますが、まだ文章に残していません。どこかまだ他人事なのかなぁ…。
臓器提供は役に立てれば、と思いましたが、家族がその立場になった時、家族の脳死を受け入れることができるか、と考えると結論が出ず、うやむやのまま草臥れた臓器になってしまいました(-_-;)
by オリオン (2013-05-27 00:54) 

サキヲ

☆nasunasuさま☆
N先生は、小柄で目力のある方です。でも、いつも真剣な雰囲気が感じられるですよね。頭蓋骨の小さな穴から、小脳を除けて、そして血管を神経を剥離する…なんて、相当の技術と集中力が必要なんだろうと思います。
ほんとに「惚れてまうやろー!」って感じですよ♪

☆Lucyさま☆
私が20代後半で下腹部を切った時は、婦人科の先生(女性)と外科の先生(男性)のどちらもが良い先生だったらしく、手術痕を看護師さん達が「きれいに切ってあるわ~♪」と惚れ惚れと見ておられたのを憶えています。
「まだ結婚してないから、横に切っておきましたよ」と言われて、「縦とか横とか選べるのか?」と驚きました。

体調は、仕事が忙しいためか、ちょっと疲れやすいかも…

☆オリオンさま☆
「死に至るまでの過程」が怖かったり痛かったりするわけではないので、ものすごく冷静な状態でした。まあ、危険度の低い手術だったからでしょうが…
脳って、ずっと外気に触れることがない臓器なので、外気に触れると膨張して、開けた穴から出てくることもあるらしいです。不思議ですよねぇ。私の脳はそれほど膨張しなかったので、大変なことにはならなかったようですが…手術って、ホントに色々なことが起こるんですね~…

by サキヲ (2013-05-27 12:55) 

雪乃02

私が手術室に入った時のことが蘇ってくるほどの臨場感溢れる文章。構成力も素晴らしいし、これをきっかけに文筆家としての二足の草鞋を履くってのも、いいんじゃないのと思いました。
どれだけの時間かけて、この文章が完成したのかな?
私の場合は、お腹だったし脳死なんて場面は想定外だったのですが、成る程考えておくべきですよね。
でも、ご主人やご両親とのやりとりを読んでいて、本当に素敵なファミリーだなぁと思いました。サキヲさん自身のお人柄が、そんな素敵な家族を作ってるし、主治医との関係性も良好なんでしょうね。ほんと、見習わなくっちゃ。
by 雪乃02 (2013-05-27 17:31) 

サキヲ

☆雪乃さま☆
こんな稚拙な文章にお褒めの言葉をいただき、恐縮です…
最近は、毎日昼休みとかにチマチマと文章を書き、少し時間がある日にざっと読み返して校正する…というパターンで記事を作っています。読み返すと、リズムが悪かったり、語彙が乏しかったりで直すところだらけで、時間がかかってしまいます…

私の家族も、夫の家族も、どちらも「かなり他人行儀」な感じです。ええっと、良くいえば、お武家さんみたいな雰囲気なんですが、友達にはすごく不思議がられます…「家族同士で、気ぃ遣いまくりやんか」と言われたことも数知れず。 変なんです。

by サキヲ (2013-05-29 12:42) 

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