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家族ということ [家族のこと]

6月10日は、日帰りの福岡出張でした。


7時前の新幹線に乗り、博多へ。


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こうして仕事ができるのも、母の面倒を父と姉が看てくれているおかげだなぁと思いつつ…ふと母が入院していた病室を思い出しました。


急性期の病院では集中治療室を出た後、4人の大部屋へ変わりましたが、多分一番重症だったのは、母だったように思います。意識がなく、全く動けず、点滴のみで命を繋いでいました。

私たち家族は毎日病院へ出かけ、時間の許す限り身体をマッサージし、髪をドライシャンプーで洗って梳き、顔や手足にクリームを塗りながら、意識のない母に色々なことを話しかけていました。
次第に母は目を開ける時間が長くなり、手や足を動かし、声を出し、聞き取り難いながらも短い言葉を話すようになりました。
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そして転院して6人部屋に入りましたが、やはりそこでも一番重症だったのは母のように見えました。
母以外の5人のおばあさんたちは皆、流動食を鼻からチューブで入れたり、普通食を看護師さんに食べさせてもらったりしていました。ラジオを聴いている人もいました。


転院先でもやはり私たちは毎日病院へ行き、面会時間を目一杯使って、母のケアをしていました。

枕元に「絶飲食」と書かれていたボードが悲しく、何とか点滴だけの状態を抜け出せないかと先生にお願いをして、試行錯誤を続けながら経鼻チューブで流動食も摂れるようにもなりました。胃に食べ物が入ると母の声には力が出てきて、私たちに「帰りたい」「一緒に帰ろう」「手を繋いで帰ろう」「歩けるから」と訴えるようになりました。


そんな母を見て父は「今まで自分のことは後まわしにして、我慢してきてくれた母の最後のわがままをきいてやりたい」と言い、父も姉も私も、母を退院させるために色々な研修を受けることになりました。

母の人生をどう終わらせるか、私たちが試されているように思いました。


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退院する日を検討する頃には、母は寝たきりの状態ではあるものの、病室の中で一番しっかり受け答えができるまでに快復していました。

オムツを換えてくれる看護師さんの頭を「可愛いわねぇ」と撫でたり、回診の先生に「いつもすみません。ありがとうございます」と言ったり、「早く帰って晩御飯の仕度をしなさいよ」と私たちを心配したり…


なんとか退院するまでの間、他の5人の患者さんは良くも悪くもならず、同じ状態で推移しているように見えました。お見舞いに来る人も少なく、来ても洗濯物を交換し、簡単な会話をするくらいで5~10分で帰っていかれます。患者さんたちはいつもベッドの上でほぼ一日おとなしく寝ている状態でした。

看護師さんは「ここは慢性期の病院なので、こんなものよ。サキヲさん家のように毎日面会時間の最初から最後まで、常に誰かがいるなんて、見たことなかった。」と言っておられました。


私たちが母のケアをしている様子を、他の患者さんが羨ましいと感じておられるかもしれないと思い、父に個室に変わってはどうかと提案したりしましたが、大部屋の方が病状が急変した場合に近くの人がナースコールをしてくれるかも、と言う理由で最後まで6人部屋から出ることはありませんでした。

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私たちの場合、父が元気だったことや、実家や病院と比較的近いところに住んでいたことなどの条件が「たまたま」合って、母がこれほど快復したのだとは思いますが、

あの病室にいた他の患者さんも、もっと家族のケアが受けられる状態だったとしたら、ひょっとすると今の母より快復されているかもしれないと思うと、何とも切ない気持ちになりました。


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退院した際に「まさか生きて家に帰れるとは思わなかった」と言った母。

母のケア、父のごはん、自分の家のこと、仕事など、日々忙しくしていますが、とりとめのない会話をして母と笑っていられる今の時間を大切にしたいと思っています。



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